2024年はドル円レートに振り回される年になっています。
一時34年ぶりの水準まで円安が進みましたが、7月後半から方向感が変わり、9月下旬のドル円は円が年初来の高値をつけています。
足下のドル円の水準は、円が買われていると表現すべきなのか、ドルが売られていると表現すべきか筆者にはわかりません。
米国の金利が下がっていくことが明確に視野に入ってきたことがドル円レートの変化の理由だとすれば、ドルが売られていると表現すべきでしょうか。
今後どのような動きをするのかを誰もが知りたいでしょうが、今年は米国の大統領選をはじめ、マーケットを動かしそうなイベントがまだしばし多く、全然わかりません。
日本時間2024年9月19日早朝に、FOMCが利下げを決めたと発表されましたが、ドル円レートは前日比で円安に。
利下げは予想できても、為替がどう動くかは予想しづらいものです。
そもそも、わかれば苦労はしませんね。
さて、今回のテーマは足下のドル円レートではありません。
ずいぶん前のドル円レートがテーマです。
おせちーず氏 プロフィール
投資歴約32年の女性株式投資家。新卒でシステムエンジニアとして従事し、その後証券アナリスト、シンクタンク研究員を経て、現在大学講師。『個別株でインデックス以下のローリスク・ローリターン』を追求した株式投資を行っている。
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「リスクオン」と「リスクオフ」
記憶が定かではないのですが、筆者が「リスクオン」、「リスクオフ」という言葉を耳にするようになったのは、2000年代後半ぐらいだったと思います。
その頃、ビジネススクールでファイナンスを学び、その後証券アナリストになったので、意識する機会が多くなっただけで、言葉そのものはもっと前からあったかもしれません。
明確に「リスクオン」、「リスクオフ」を聞くようになったのは、米国が実施した”QE2”の時だったように思います。
”QE2”とは”Quantitative Easing 2”の略で、2があるということは1もありました。ついでに言うと3もありました。
”Quantitative Easing”は「量的緩和策」のことです。
中央銀行が、景気や物価を下支えするために、マネタリーベースなどの「量」を操作目標として、市場に大量に資金を供給する金融緩和政策です。
横にそれますが、日本の話をします。
日本では、バブル経済破たん以降、低金利政策が長期にわたって実施されても、金融機関の不良債権処理が進まず、なかなか実体経済に十分な資金が供給されない状況が続いていたことの改善を目指し、金融システムの安定化とデフレを防止するべく2001年3月から量的緩和策が導入されたました。
2006年3月に解除されています。
その後2013年4月に操作目標を再び金利から量に移す「量的・質的金融緩和策」を導入しました。
2024年3月まで続いたのは記憶に新しいところです。
話を米国に戻しましょう。
米国が量的緩和策を導入したのは、2008年9月にリーマン・ブラザーズが経営破綻したリーマン・ショックがきっかけです。
米国債や住宅ローン担保証券などを買い入れ金融市場への資金供給量を増加させました。
2008年11月から2010年6月までの”QE1”、2010年11月から2011年6月までの”QE2”、2012年9月から2014年10月までの”QE3”と、3度の大規模な金融緩和を実施しています。
当時、”QE”という言葉が出ると、ドルが安いと言われて「リスクオン」と言われたように記憶しています。
その教訓は、コロナ・ショックで活かされ、2020年に米国の中央銀行制度である連邦準備理事会は5兆ドル近い債券の買い入れを実施し、市場に資金を供給した結果、株式市場が息を吹き返しています。
余談ですが、このあたりのいきさつは、QE1~3までFRB議長を務めた、ベン・S・バーナンキ氏の著書「21世紀の金融政策」が詳しいです。
QEがアメリカで導入された当時、窮余の一策で、見込まれる効果についても発生しうるコストやリスクについても不確実性が大きかったこと。
また、政治的に激しい批判にもさらされたこと。
それでも重大な副作用なしに効果が明らかになるにつれ、次第に受け入れられるようになったことなどが記されています。
なお、著者によれば、QEは中央銀行による長期債の大規模買い入れと定義し、目的は長期金利を引き下げて、金融状況を緩和し、最終的に雇用の最大化と物価の安定というマクロ経済の目標を達成することとしています。
日銀が2001年から始めた証券の買い入れの対象は、残存期間が短めの債券が多く、マネーサプライの増加を狙いとしていたため、著者のQEの定義には該当しないとも書かれています。
記憶にある「リスクオフの円買い」
さて、米国が実施した量的緩和は「リスクオンのドル売り」だったのかもしれません。
では、「リスクオフの円買い」がかつてあったのかと思うでしょうか。
筆者はこれが該当するかなぁという記憶があります。
2011年8月の米国債デフォルト不安でした。
米債務上限の引き上げを巡る政府と議会の交渉が難航する中で、米国債の債務不履行リスクへの懸念から米国株、米金利、米ドルの「トリプル暴落」が起きたのです。
史上初めて、米国債の格付けが引き下げられた時でもあります。
こちらは2011年7月~9月のドル円レートチャートです。
米国のQE実施に伴い、米ドルが売られて円が買われ、ドル円レートは2桁で推移していました。
QE2が終了していた米国でしたが、米国債のデフォルト不安は、投資家の心理をお金をとにかく米国から逃がそうという方向に向かせたようで、当時比較的安全な通貨と呼ばれていた円が買われた格好です。
お金を逃がすための円買い、つまり「リスクオフ」の円買いだったと解釈しています。
ピークから約6%程度の円高になりました。
2024年のドル円の動きに例えれば、162円をドル高のピークだとすると、6%の円高は152円台前半ということになるでしょうか。
この「リスクオフの円買い」を覚えている理由は、当時同僚のアナリストと交代で毎週日本株のストラテジーレポートを発行していたからです。
製造業の業績が輸出に大きく頼っていた当時、ドル円レートが2桁の環境で日本株の戦略を立てることがどれほど難しかったか。
2011年は東日本大震災が春にあり、それだけでも十分ストラテジー立案には頭が痛い状況でしたが、米国債務上限問題でさらに追い討ちをかけられ、本当に苦しい時期だったのをよく覚えています。
「東日本大震災でひぃひぃ言ってる国の通貨が安全だなんて、どういうことだい!」
と声に出さずに叫んでいましたね。
この時代、証券アナリストだったので株式投資は制約が大きく、やっていませんでした。
東証一部の売買代金が1兆円を切ることも珍しくなかったこの時代を知っていると、1日4兆円などと言われる現在は隔世の感があります。
当時、株式投資ができなかったのはよかったのか悪かったのか。
2011年だけを振り返れば、できなくてよかったかもしれませんが、翌年末に民主党から自民党に政権交代が起きてからの「アベノミクス」を思い起こせば、この時代にコツコツ投資していたら結構リターンを得られたんだろうなぁとも思います。
ただ、振り返れば「暗黒時代」を、マーケットに従事する立場で経験できたのは自分にとってはいい財産です。
買いたくても買えないものでしょう。
いい教訓を得たと思える日が来るように思います。
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