「ビットバレーにIT起業家が集まったように、今はシンガポールにクリプトの起業家が集まっている」エンジェル事業家・加藤順彦氏 1/4

ITビジネス創世期にインターネット広告会社「日広」(現・GMO NIKKO)を設立し、現在は多くの企業に出資するエンジェル投資家として活躍する加藤順彦氏。堀江貴文氏や熊谷正寿氏、三木谷浩史らと同じIT起業家の第一世代でもある。今は暗号資産の可能性に大きな期待を寄せているという加藤氏に、企業への投資を始めたきっかけや拠点としているシンガポールの魅力などを聞いた。

インタビュー・編集:内田 誠也
執筆:山本 裕司

加藤順彦氏 プロフィール

ITビジネス創世期にインターネット広告会社「日広」(現・GMO NIKKO)を設立、後にGMOへ売却。ザッパラス、DeNAなど多くのIT企業にエンジェル投資家として参加。暗号資産では創業からbitbank、Slash Fintech、Cygnos Crypto Fundに出資。その他、家業承継し理美容シザーの買取と研ぎ&他家MSC金太郎細胞点滴の提供など幅広く活動。Twitter:https://twitter.com/ykatou ブログ:https://katou.jp

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ライブドアショックでの契機で会社を売却し、シンガポールへ

――日広を退任後、エンジェル投資を始めるまでについて教えてください。

まず日広を退任した経緯から話しましょう。

2006年に当時ライブドアの社長だった堀江貴文さんが証券取引法違反容疑で逮捕される、いわゆる「ライブドアショック」が起きたわけですが、この事件をきっかけにIT企業に対する信用が失墜してしまいました。

参考:ライブドア・ショック – Wikipedia

僕が経営していた日広(当時)もインターネット広告の会社でしたから、当然、影響を受けて売り上げも大きく落ち込んだ。いろいろ手を打って抵抗したのですが、結局業績を回復させることができず、2008年にGMOインターネットに譲渡しました。

会社を譲渡した後の身の振り方には、いろいろな選択肢があったのですが、結局は日本を離れてシンガポールに移住することにしました。

――なぜシンガポールだったのでしょうか。

2003年に楢林悦朗さんとシンガポールを拠点に、コンタクトレンズの越境EC企業「LENSMODE」を創業していました。僕は出資者という立場でした。

最初は赤字の会社だったのですが、2008年ごろから配当が出せるようになって、楢林さんにシンガポールに来ないかと誘われたのがきっかけです。

参考:レンズモード、雲抜けまでの経緯とシンガポール永住権(PR)の取得と。

シンガポールは株式の配当に税金がかからないんです。日本だと約20%の税金がかかりますから、シンガポールにいたほうが手元に多くお金が残るというのもありました。

当時、僕は40歳。何か新しいことに挑戦できる最後の機会だろうとも考えて決断しました。

ほかには日本への不信感というか、危機感でしょうね。ライブドアの事件を目の当たりにして、日本は駄目な国になるんじゃないか、と危機感を覚えました。

ライブドアだけでなく、GMOやヤフー、楽天とか、新興のインターネット企業が何か新しいこと、特別なことをしようとすると、マスコミが全力で叩きにくる。そして、検察が逮捕までしてしまう。僕がやっていた日広も少なからずその影響を受けた。

正直なところ、日本はこれでいいのか、という気持ちになりました。

堀江さんたちIT起業家と呼ばれる人たちと夢を追っているような気分になっていたところもあるので、心も折れてしまいました。だから、シンガポールに一旦逃れたという部分もありますね。あのときのショックは結構引きずりました。

1990年代後半からザッパラスやDeNAに出資

――IT企業への投資はいつ頃から行われていたのでしょうか。

新しい企業への投資を始めたのは1997年ぐらいからです。当時、エンジェル投資という言葉はまだありませんでしたが、やっていることはまさにエンジェル投資でした。

最初はインターキュー、今のGMOインターネットですね。インターネットのプロバイダー事業の会社でした。

当時は、今のように手軽にインターネットに接続できない時代で、電話回線とは別にプロバイダーと契約しなければならなかったんです。それをダイヤルQ2ですぐにインターネットに接続できるようにしました。

ほかにも後に上場した会社としては、携帯電話用の占いコンテンツで成長したザッパラスや、ネットオークションサイトでスタートしたDeNAがあります。

日本にいる間だけで、35社から40社くらい投資していました。

――当時エンジェル投資を始めたのは、どのような考えからだったのでしょうか。

これからインターネットサービスの時代が来ると確信していたからですね。当時の日広はまだ雑誌主体の会社で、インターネットに軸足を移していかなければと考えていた頃でした。

それに、その頃は若者がインターネットやITでイノベーションを起こすといった雰囲気が、僕の周りにあった。そうした雰囲気に酔っていた部分もありますね。

当時は渋谷にITのベンチャー企業が集まり始めたころで、渋谷はビットバレーなんて呼ばれていました。集まりもだんだん規模が大きくなって、数百人が集まる一大イベントにまで成長しました。

日銀総裁や東京都知事だった石原慎太郎さんが参加して話題になったこともあります。

有名なのは2000年2月に開かれたイベントで、参加者は2,000人近く。ソフトバンクの孫正義さんなんか海外からジェット機をチャーターしてやってきた。

若い起業家の熱気があふれていたビットバレー

――加藤さんもそのような集まりによく参加されていたのでしょうか。

そうですね、僕はこのビットバレーに初期の頃から参加していました。

GMOの熊谷さんが僕の4歳年上で、Klabの真田哲弥さんや楽天の三木谷さんが3歳年上。僕を含めた30代のちょっと年上の世代が、サイバーエージェントの藤田さんといった25、6歳の若い人たちを応援していくという雰囲気がそこにはありました。

若い人たちは、上場して一攫千金だ、起業で世界を目指すんだ、みたいな勢いがあって、僕自身もそれをあおって、自分自身飲み込まれていた部分もあった。

それに当時、日広の最大の取引先はGMOと当時のオン・ザ・エッヂ、その後のライブドアグループでした。だから僕は熊谷さんや堀江さんを通じて夢を見させてもらっていた。

そんな状況の中で、僕はベンチャー企業やスタートアップに投資して、その中から実際に有名になっていく会社が出てきた。

そして六本木ヒルズという時代を象徴するような建物ができて、そこに集うヒルズ族という言葉も生まれる中で、成功を収めた起業家が、新興市場に上場し、多額のお金を手にしてヒルズ族の仲間入りをしていく。

僕も当時はその中にいて、多くの起業家と遊びまわりました。すごく楽しかったし、こうした時代が永遠に続けばいいと思っていた。ところが、ライブドアショックでそんな時代が終わりを告げたんです。

――シンガポールに移住した後は、どのような活動をされているのでしょうか。

楢林さんに誘われてシンガポールに移住しましたが、LENSMODEでは、特段の役割や管掌はないんです。隔週で役員会やマーケの会議に参加し、事業全体を見守っています。

あとは、毎年2社くらい東南アジアを舞台に活動する起業家に出資していました。

出資する際は、ただ資金を出すだけでなくいわゆるハンズオンで出資するので、ボードに参加したり、代表と一緒に資金調達に回ったりもする。そうしたスタイルで10年以上やってきました。

起業を目指す日本の若者たちが集まるシンガポール

――東南アジアで起業する日本人は多いのでしょうか。

2019年ぐらいから、若い人がやって来てシンガポールでブロックチェーン界隈のサービスをローンチするということが増えました。そのシンボル的な存在が、Stake Technologiesの渡辺創太さんですね。

日本発のパブリックブロックチェーン・Astar Networkのファウンダーですが、会社を創設したのは24歳のときでした。そうした、非常に若い人がシンガポールで起業してプロジェクトを軌道に乗せている。

それには、税理士や弁護士らバックで応援する人がいたというのも大きかったと思うのですが、彼が流れをつくるきっかけになったと思っています。

――そういった日本の若い人がシンガポールに集まっているのは最近になってでしょうか。

そうですね。暗号資産の決済を手がける​Slash Fintechの佐藤伸介さんともシンガポールで出会ったのですが、彼も渡辺さんと同じように、シンガポールにやってきた人のうちの一人です。

渡辺さんが有名になりだした2020年の半ばぐらいからでしょうか。それくらいから多くの若い人がシンガポールに移住してきた。今はおそらく50人、60人はいるでしょう。

僕はサウナが好きでシンガポールでもよく行くのですが、今、サウナに行くと、だいたいそうした日本からの移住者と顔を合わせます。それくらい、いま日本からシンガポールに人材が集まっています。

クリプト事業の起業家を支援する機運も

――いまの盛り上がりは2000年ごろのIT勃興時の国内の熱狂と比較していかがでしょうか。

90年代末から2000年頃にかけての頃は、夜に六本木へ繰り出すと必ず起業家に会える店がいくつかあったんです。そこに行けば、堀江さんや藤田さんに会えて。

今何してんの、どういうことやっているの、じゃあ、いい人を紹介しようか、みたいな感じで、みんな名刺交換していたんです。

そんな当時の雰囲気を、今のシンガポールでも感じられます。

特に2022年に入ったくらいからですかね。シンガポールにも起業家が集まるような拠点がいくつかありますから、そこへ行けば誰かに会える。

それは間違いなく渡辺さんが作って来た流れなんですが、やっぱりシンガポールで多くの人がプロジェクトを始めるには理由があるんです。衣食住の心配がない、家族にとっても生活がしやすいとか。

それから、不動産仲介などでは日本人向けに専門で仕事をしている人が大勢いて、競争もあるので、外国人だから騙されるなんてこともないんです。

日本人にとって安全で快適に生活できる条件もそろっているというのも大きな理由だと思います。

――暗号資産やブロックチェーン関連での起業を目指す人が多いのでしょうか。

渡辺さんも佐藤さんもそうですし、Cygnos Capitalの三原さんも同じですね。

そういう意味では、今のシンガポール移住は、クリプト業界のシンガポールブームだと言えると思います。かつて、ビットバレーにIT起業家が集まったように、今はシンガポールにクリプトの起業家が集まっている。

その中で一緒に仕事をしたり、僕が知っている世界を彼らにつなげたりしています。

2022年にはWeb3.0の起業家を支援しようと、渡辺さんやWeb3 Foundation(Web3財団)の大日方祐介さん、Fracton Venturesの鈴木雄大さん、亀井聡彦さん、赤澤直樹さんら7人がNext Web Captalを設立しましたが、これにビットバンクも出資しています。

参考:Web3.0 起業家創出へ「Next Web Capital」WiLなど11億円出資、7人の若手起業家らが設立

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ライブドアショックを機に、日本に失望するような形でシンガポールに移住した加藤氏。かつてIT起業家が集っていた頃の渋谷の空気をシンガポールで感じながら、起業家への投資を続けている。次回は、最近投資した企業や新たな事業への期待などについてお聞きします。

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