証券アナリストの経験を生かし、退職後から株などの資産運用を始めたおせちーず氏。リーマンショックなど大きな相場の動きに巻き込まれて多額の損失を抱える高校生の投資家を数多く見て来たことから、ローリスク・ローリターンの運用を心がけている。1990年代のバブル経済末期の頃から投資に興味を持っていたというおせちーず氏にバブル期やリーマンショック、アベノミクスなどを振り返ってもらった。
インタビュー・編集:内田 誠也
執筆:山本 裕司
インタビュー1記事目:「個別株で、預金以上インデックスファンド未満の低リスク低リターンを目指している」株式投資家・おせちーず氏 1/4
おせちーず氏 プロフィール
投資歴約31年の女性株式投資家。新卒でシステムエンジニアとして従事し、その後証券アナリストを経て、現在は企業に勤めながら大学で非常勤講師にも従事。『個別株でインデックス以下のローリスク・ローリターン』を追求した株式投資を行っている。
Twitter:https://twitter.com/osechies
ブログ:https://ssizehappy.exblog.jp/
────────────────────
「毎月100万円以上のビットコインを買えるキャッシュを生み出すスモビジについて研究」するコミュニティ、「BMRスモールビジネス研究所」を開始しました。ご興味ある方はぜひ覗いてみてください。
────────────────────
株式投資がまだ一般的ではなかったバブル時代
――おせちーずさんが投資を始めたのは1991年と日本のバブル景気の終わりごろですが、当時世の中はどのような雰囲気だったのでしょうか
バブル経済を支えていたのは土地の高騰で、右上がりで土地の値段が上がり続けると誰もが信じ込んでいて、土地を担保にすれば銀行も多額の融資をしたんです。
それで、世の中にお金が回り、株価も暴騰していました。
しかし、バブルの過熱を懸念した政府や日銀が土地取引の規制や金融引き締めを行ったので、不動産価格が暴落しました。
参考:総量規制からバブル崩壊 ~「都市計画法」改正~東京の都市経済・政策・計画の変遷を捉える~
銀行などの金融機関も不動産を担保にした融資が焦げ付いてしまって経営が苦しくなってしまいました。
私は93年に大学を卒業しましたが、企業の採用も厳しくなっていました。その数年前までは大量採用が続いていたのですが。
ただ、その頃は女子の就職は容易ではなく、女性にとっての就職活動の厳しさはそれほど変わらなかった印象があります。
――バブル崩壊で社会の投資に対する考え方に変化はありましたか。
当時まだ最低購入単位の株価は高かったので、だれでも買えるという時代ではありませんでした。だから、私の周りで株式投資に興味を持っている人はほとんどいませんでした。
でも、バブルの初期には、日本専売公社が民営化されてJTができたり、国鉄がJR各社に分割民営化されたりするなど国営企業の民営化が続き、その都度株価が話題になっていました。
日本電信電話公社がNTTになったのは高校生の頃だったかな。国が売り出すということで、人気が集まり1株300万円を超えたこともありました。
(編集者注)1987年2月に政府保有株が1株119万7千円で売り出されると、個人投資家は群がった。直後の4月に株価は最高値の318万円に駆け上がる。
NTTが上場30年 株価、配当込みでプラス転換 – 日本経済新聞
株の話題に関心を持つ人は増えたのかもしれませんが、それでも実際に投資に関心を持ったり、始めてみたりする人は、今ほど多くなかった印象があります。
ヤフー株が1億を超えたITバブル期
――1997年頃のアジア通貨危機で、何か印象に残っていることはありますか。
日本にそれほど大きな影響があったという記憶はありませんね。当時は米国が強いドル政策を取っていたこともあって、円が安かったのは覚えています。ドル円126円の記憶があります。その後、一気に円安が進みました。
株式市場では97年にヤフーが上場して、初値で200万円を付けました。その後、2年ほどで1億を超えて、その頃はITバブルの時代ですよね。
参考:2000年2月22日 日本株史上最高値 ヤフー、1億6790万円
ヤフーにはストックオプションで1億円の資産を持っているアルバイトがいるなんて話が、まことしやかに流れていましたね。真偽は確認できていませんが。
――ITバブルの頃は株式投資をする人も増えてきたのですか。
この頃はまだ、株は高かったですよ。楽天の上場もこの頃でした。
この頃、私も株の売買をしていましたが、9.11発生ぐらいまでいい相場が続きましたよ。
1999年に株式売買の手数料が自由化されているんです。証券会社が自由に手数料を決められるようになって、それまでは約定金額の3%くらい取られていました。
参考:1999年の売買手数料無料化で業界内競争は激化 – REUTERS
この頃からですね、松井証券が手数料の値下げで業績を伸ばして、オンライン証券に舵を切っていくのは。
個人投資家が増えていくのも、この頃からでしょう。
――おせちーずさんはシステムエンジニアの仕事をされていて、ITバブルの恩恵は受けなかったのでしょうか。
うちの会社は、なぜ上場しないのかな、なんて話していましたね。IT企業の上場が相次いでいた時期なので。
私自身、支度金を頂いて転職したことがあります。その会社は1年半くらいでなくなってしまいましたが。
先行きの見えなかったリーマンショック
――リーマンショックのときは証券会社にお勤めだったとのことですが、当時の雰囲気などを教えてください。
今から思えば、前年ぐらいから、怪しい動きはいっぱいあったんです。
リーマン・ブラザーズがチャプターイレブン(米連法破産法11条)の適用申請をしたときなんかは、これからいったい何がどうなるんだろうと不安になりました
参考:リーマン・ブラザーズ証券が民事再生法の適用申請、戦後2番目の大型倒産に
転職して証券アナリストになって間もない頃です。仕事もクビになるんじゃないかと思っていました。
――社会や株式市場はどのような反応だったんですか。
当然、リーマン・ブラザーズの破綻は大きなニュースになって、経済への影響も心配されていたんですが、すぐには目に見える形では現れてこなかった。
ところが、翌年の各企業の決算がとんでもない数字になって。
日立が7,800億円の赤字で経営危機といわれましたし、なんといっても衝撃だったのはトヨタが4,500億円を超える赤字になったことで、「トヨタショック」と言われました。
(編集者注)売上高を従来予想の25兆円から前期比12.5%減となる23兆円に、営業利益を1兆6000億円から前期比73.6%減となる6000億円に、最終(当期)利益を1兆2500億円から68%減の5500億円にそれぞれ引き下げ、00年3月期以来の減収減益となるとの見通しを示した。
トヨタショック | 時事用語事典 | imidas – イミダス
日本を代表するトップ企業であり、世界最大規模の自動車メーカーであるトヨタ自動車ですら、大幅な業績悪化が避けられないという事実は、金融危機の実体経済への波及を鮮明に印象づけることになり、さまざまな方面に波紋を広げた。
そこから、本当に大変だ、どうにもならない、という空気になっていました。
利益が出ないということはPERも算出できないんですよ。PERは「1株当たりの利益」なので計算自体ができない。
――証券会社も例外ではないですよね。
リーマンショックからアベノミクスまで、本当に厳しかったです。
その間、日本では東日本大震災が起こり、ギリシャ危機を発端にした欧州債務危機が起こりました。本当に経済的に厳しい出来事が相次いだ時期です。
会社も大変でしたが、私自身も大変だった。そんな経済が落ち込んで明るい話もない時期に、週1回、10ページほどのストラテジーレポートを発行しなければならなかったんです。
交代で書くので1人が書くのは1週おきなんですが、これで相当鍛えられました。
――ストラテジーレポートとはどのような内容なのでしょうか。
セクターごとの株の見通しや推奨銘柄とか、売ったほうがいい銘柄とか、為替の見通しとその影響の解説などです。
欧州危機の頃は超円高で、75円台までいきましたよね。経済活動も低調ですから、明るい話もあまりないのですが、それでも読んでもらうために毎回違う内容を盛り込んでいかなくてはなりません。
毎回同じ内容では読んでもらえないし、出す意味もありませんからね。
東日本大震災で資金が海外へ流出
――東日本大震災も株式市場への打撃は大きかったのですか。
震災から10年以上経って、若い人は震災のことは知っていても当時の経済状況を知らないんですね。時の流れを感じます。
震災で何が起こったのかといえば、まず日本からお金が逃げました。
当たり前なんですが、電気や通信、交通といった社会インフラがいつ復旧するかがわからないから、とりあえずお金を国外に逃がさなければならない。
それから、震災で損害を受けそうな企業の株は売られる。当然ですが、原発事故を起こした東京電力株はたたき売り状態でした。
当時の電力株は高配当株で人気があったんです。震災が起きたのは3月11日ですから、3月末の配当目当てで買っている人も多かった。
退職金を全額はたいて東京電力株を買っていた人がいるという噂も聞きました。その高配当株が、一瞬にして無配株になってしまった。
でも、よく東京証券取引所は閉鎖せずに取り引きを継続しましたよね。
発生が金曜日の午後で、再開が翌週月曜だったというのもあるのかもしれませんが、2001年のアメリカの9.11、同時多発テロのときはニューヨーク市場が4日間止まりました。
――欧州債務危機のときはいかがでしょうか。
あのときは円高ですよね。ユーロも米ドルも買えないということで、みんなが円を買った。
資金の逃避先が、比較的健全で流動性もある通貨ということで、円とスイスフランに集中したんです。スイスフランは途中で事実上の上限を設けてしまうほどでした。
参考:第2節 欧州政府債務危機の世界経済への影響 – 内閣府
――米ドルはなぜ買われなかったのでしょうか。
アメリカには当時、債務上限問題があったんです。
アメリカは法律で国債などの債務残高の上限が決まっていて、上限を超えそうになると議会の承認を得なくてはならない。それが議会の取り引き材料になったりするんです。
2011年も上限引き上げの法案がぎりぎりまで成立しなくて、このままでは債務不履行(デフォルト)になると言われていました。実際、S&Pは米国債の格付けを下げました。
今も何年かおきに、債務上限問題で米国議会がもめますよね。
そんなこともあって米ドルも買われにくい状況だったんです。
参考:2011年はぎりぎりで上限引き上げも米格下げで市場は混乱 三井住友アセットマネジメント シニアストラテジスト 市川 雅浩
リスクをマイルドにして危機に備える
――いろいろな体験をされてきましたが、一番大変だったのはいつでしょうか。
どうでしょう。コロナショックも、一投資家として含み損を抱えながら大変でしたけど、ちょうど2020年3月に市役所をやめてタイミングも悪かったんですが、なんとかやり過ごしました。
やはり東日本大震災からアベノミクスまでが一番きつかったですね。株式市場が壊れるのではないかというくらい暴落を目の当たりにしましたから。
でも、そうした経験があるので、もう多少の下落には驚かなくなりました。例えば最近は、米国株のテスラとかアークETFの下落が話題になっていますが、あの程度のことには驚かない。
というか、値動きが激しいものは、そうなることもある、なってしまうんだろうな、と思うから手をだしません。あくまでもマイルドにリスクを取るというのが、これまでの経験から導き出した私のルールですから。
バブル崩壊後、多くの暴落局面を目の当たりにした経験から、ローリスク・ローリターンのトレードに徹するおせちーず氏。次回は投資先を選ぶときの考え方やためになった書籍などについてお聞きします。
────────────────────
「毎月100万円以上のビットコインを買えるキャッシュを生み出すスモビジについて研究」するコミュニティ、「BMRスモールビジネス研究所」を開始しました。ご興味ある方はぜひ覗いてみてください。
────────────────────
インタビューの続きはこちら。
前のインタビューはこちら。
おせちーず氏の記事を読んだ方はこちらもおすすめです。