「当時のビットコインはPCや暗号好きのマニアックな人の世界」2010年参入の初期ビットコイナー 1/7

仮想通貨を中心に、広く投資に携わるsugumatu氏。ビットコインについては2010年に出会い、以来、マイニングや投資などで現在まで深く携わっている。そんなsugumatu氏にビットコインと出会ったきっかけや当時の印象、社会のビットコインに対する印象などについて伺った。

sugumatu氏 プロフィール
2010年よりビットコインのマイニングを行う初期ビットコイナー。ビットコインを教えてもらったインドの開発パートナーから2010年~2011年に約2500BTCを購入、2010年12月から自己マイニング、2014年~2016年に追加自己購入290BTCと保有。現在もBTCは当時の総所持数の65%は保持しており、残り35%は2013年、2014年頃からアルト(ETH、AR、他)と不動産、株式、現金等に分散投資。初期より仮想通貨領域でさまざま経験を経て、現在は仮想通貨に留まらず不動産など広く投資家として活動。日本最初の仮想通貨SNSサイト、http://cryptpark.com を運営。Twitterアカウントは https://twitter.com/sugumatu
インタビュー・編集:内田 誠也
執筆:sugumatu

ビットコインとの出会いは2010年、希少性に気づいてマイニングにハマる

ーーご経歴を拝見しました。はじめてビットコインを知ったのは2010年で約2,500BTCを購入されたそうですね。当時のことを詳しく教えてください。

2008年3月に勤めていた会社を辞めて独立し、WEB受託会社を始めました。2010年ごろから米国や日本でもグルーポンという共同購入クーポンサイトが流行っていて、そこで私は同様の機能を持ったサイトをシステムとして販売しようと開発を始めました。

しかし、困ったことに日本には注文が一定数集まったらまとめて決済をするという機能を提供できる決済会社がありませんでした。そこでインドの協力会社の開発者に相談していたのですが、その話の中で「ビットコインというものがあるよ」と聞いたのがビットコインとの最初の出会いです。

ーーそれでビットコインを購入されたのですか。

ビットコインを初めて聞いた時は、共同購買には使えないし、なんか怪しいと思ったので最初は受け流していました。でも、その後も彼の話を聞いていくうちにこれは金の発掘をシミュレーションしたもので、ゲームぐらいには使えるようになるかもしれないと思い、最初は1台のPCでテストのつもりでマイニングを始めました。最初は軽い気持ちでした。

やってみるとマイニングには中毒性がありまして、マイニング用PCを増やして競争したくなるんですよね。そして、会社のPC5台でやり、8台に増やしました。マイニングを続けているとさらに気持ちはもっと欲しい、売ってほしいという気持ちになり、彼に譲って貰うことになりました。

ーーその方もマイニングをされていたのですね。

開発パートナーは2010年初期にマイニングを始め、ペンティアム4のPCを使用して2、3日で100BTCを掘っているということで当時合計で1万5000BTCぐらいを所有してました。

彼は開発会社の立ち上げに協力してくれるならいいよというので、最初の資金提供と共に2500BTCを購入することができました。価格は当時の時価の3倍+約80万円の彼の会社への出資です。その後、彼とはビットコインがASICで掘れなくなるまでマイニングを続けます。

2011年当時のsugumatu氏のビットコインのマイニング画面

更にRippleの初期、2013年11月から始まったWorld Community Grid(WCG)という科学研究の計算に協力するとXRPが貰えるというマイニングに似た仕組みがありましたが、それでも一緒に150台分の仮想サーバーインスタンス(Amazonクラウドサービス)を立ててXRPを掘っていました。(2014年4月頃にWCGでのXRP配布は終了しています)

今は仮想通貨や不動産等の投資パートナーであり、一緒に様々な投資をしています。

Sponsor

仮想通貨トレーダーズクラブ COINRUN

COINRUNは暗号資産の古参トレーダーである、田中さん、ヨーロピアンさんの2名による、暗号資産のトレードによって「まとまった資産を築く」「継続的な収入を得る」「ビットコインを増やす」ことを目的に、様々な有益情報を共有するオンラインコミュニティです。

会員限定のトレード番組やチャットコミュニティ、月20回程度のレポート配信が利用・閲覧可能になります。

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当時のビットコインはPCや暗号好きのマニアックな人の世界

ーー当時のビットコインに対する社会やsugumatuさん周辺の認知、認識はどのようなものでしたか。

当時はビットコインを知っている人はほとんどなく、日本語のニュースサイトも全くありませんでした。私も海外のbitcointalk.orgというサイトで情報を得てるだけでした。当時はPCや暗号好きのマニアックな人の世界でした。

でも、限定供給で、需要が増えれば価格は次第に上がるという仕組みはなんとなくですが理解していました。

知り合いや友達に教えても当時は怪しいと思われるので、積極的に教えるという事はなかったです。でも、ネットで知り合った仕事関係者数名とはテスト名目でマイニングをしました。その中にはしばらくマイニングを続けてた人もいます。それぐらいで私のまわりの認知度はほとんどありませんでした。

2011年頃のsugumatu氏のGPUマイニング機器1
2011年頃のsugumatu氏のGPUマイニング機器2

ーー「限定供給で、需要が増えれば価格は次第に上がるという仕組みは理解していました」について、なぜそれを理解することができましたか。

2010年後半に、ビットコインを知っていた人は総供給量が2100万枚しかなく増えないというのは知っていたと思います。公式ホームページには書いてありました。

また、自分自身でもマイニングを始めてからは中毒性を強く感じていたので、ハマる人はハマるし、欲しくなる仕組みだと感じてました。ビジネスになりそうなものに関する嗅覚は自分では鋭い方だと思っています。

2010年後半はbitcointalk.orgのディスカッションフォーラムでも価格の事を話す人が出始めた時期でもあり、興味を持つ人が増えて需要が増えると感じた人は私以外にもいたと思います。

でも、今のように高騰すると考えてた人はおそらく少ないと思います。私もこんなに高騰するとは予想外でした。

先ほど話したパートナーから時価の3倍で買ったのもそれが妥当だとお互い話し合ってのことです。彼は優秀な開発者でしたので出資は取引関係を長く続けたいという意味もありました。

枚数が欲しくてビットコインのマイニングに没頭し、キプロスショックで基軸通貨の可能性について考える

ーーいまではビットコインはインフレヘッジの資産として広く理解されていますが、当時のビットコインはビットコイナーにどのような理解・認知をされていたのでしょうか。

2010年〜2011年ごろは少しづつ価格が上がってきてたのもありますが、ただ枚数が欲しいという自分でもよくわからないゲームに入り込んでしまいました。マイニングは始めると夢中になってエスカレートしていってしまいます。

その頃のビットコインはまだインフレヘッジになるというまでは理解や認知は進んでなく、そう思われるようになるのはもっと後のことだと思いますね。

マイニングは面白い仕組みだし、事業になればいいなとは感じていましたが、知った時は20円、マイニング開始時は50~70円前後、最高額は瞬間的に1500円ぐらいになったことはありましたが、まだまだ安定性はなく収益化できるレベルではなかったです。私も2011年に入るとただGPUを増やして軍拡競争をしているような感じで出費ばかり大きかったので・・・

ーーインフレヘッジや投資の対象などというよりはただひたすら楽しくてマイニングされていたのですね。

はい、ビットコインの存在意義を深く考えるというより、価格がついて徐々に上昇しているものを掘れるという楽しさが優先してました。他のマイナーもそんな感じだと思います。

この頃は大きな可能性を感じていましたが、価格が数万円に高騰する確信さえ持ってなかったです。私がビットコインの凄さを本当に感じたのは2013年のキプロスショックで価格が4000円を超えたあたりからです。

キプロスで金融危機が起こり、預金封鎖が実施され、避難通貨としてビットコインが人気化し大きなニュースになりました。この時は将来、基軸通貨のような存在になりえるのかなと思い始めました。

参考:キプロス・ショック

ビットコインに興味を持てたのは仕組みに気付けたから

ーーsugumatuさん以外でも当時ビットコインを知っていて投資できなかった方もいると思います。なぜsugumatuさんはそのような方々と違い、ビットコインの可能性に気づけた、投資できたと思いますか。

私は子供のころから世の中を変えるようなビジネスや仕組み、投資に非常に興味を持っています。

会社員時代はハードディスクの情報を読み書きする磁気ヘッドというものがあるのですが、その磁気ヘッドを製造するのに必要なダイヤモンドスラリーを製造する会社に所属してました。ダイヤモンドスラリーはハードディスクの記憶密度向上の為に不可欠な加工液です。私自身は仕事上、デバイスやPC、Webの新技術や動向をいち早く知る必要がありました。

また、インターネットの世界でも古くはOsCommerce、Opencart、XOOPS等のオープンソース開発にも参加してました。OsCommerceとOpencartは本格的多言語・多通貨対応のECサイト構築システムで私が決済について興味を持つきっかけになったものです。XOOPSはコミュニティサイトを構築するソフトウェアです。プログラミングは小学校時代、父親がパソコンを買った時から少しづつ勉強を始めていました。オープンソースというものを知ってからは独学ですが、真剣に勉強し、ある程度のサイトは作れるようになりました。

ーー独立を検討されていたのですね。

はい、独立も考えていたので、ほぼ毎日、会社の帰りに本屋に寄って投資やビジネスに役立ちそうな本を探し、新しい技術やビジネス情報も仕入れていました。2008年に独立してからはベンチャー企業の情報を紹介しているTechCrunchというサイトを毎日読んでコメントをつけていました。2011年の日本で最初のビットコイン記事にもマイニングについてのコメントをつけています。https://disqus.com/home/discussion/techcrunchjapan/bitcoin/

※当時のコメント:https://disqus.com/by/sugumatu/

ビットコイン創世記初期にタイミングよく独立し、開発パートナーと良い縁があり、ビジネスや投資について十分に考える時間があったというのも大きいと思います。開発パートナーからビットコインを聞いた時も怪しいと感じたけれども、仕組みが気になって最終的によく調べたのも良かったのかなと思います。調べ始めると徹夜もいとわない性格です。

ーーなるほど、そのような性格によってビットコインを当時買えたのではないかと。

仕事環境や経験の下地はあったのかもしれませんが、最初のきっかけはビットコインの可能性に気づけたというより、開発パートナーにビットコインの面白さを教えて貰い、マイニングにのめり込んで、気が付いたら夢中にやっていたというのが正直なところです。

当時のビットコインマイナーも狙ってやってるというより、気が付いたら面白さに夢中になっていたという人が一番多いのではないかと思います。

ーーマイニングはいつ頃まで実施されていたのでしょうか。

2010年後半、テストとしてCPUマイニングをPC1台から始め、5台、8台へと増やし、2011年の初期にはGPUを約30個を買って、2013年〜2014年前半までASIC5台でマイニングをしてました。ビットコインのマイニングは2014年前半までやってました。

2014年以降はビットコインの掘れる量も激減していた為、GPUやASICが転用できる他のマイニング通貨を掘り始めました。他のマイニング通貨を入れると2016年ぐらいまでだらだら続けてました。でも、残念ながらビットコイン以外でのマイニングの利益はほとんどありませんでした。

2013年頃のsugumatu氏のASICマイニング機器1
2013年頃のsugumatu氏のASICマイニング機器2

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